表現の自由とは?

表現の自由にも制限があるのか。それは結果として自由ではないのではないか。自由と言っても全て自由になる訳ではない。何故か。一緒に考えていこう。

マー君
マー君

ディアボロ先生!表現の自由って最近よく聞くんだけど、この表現の自由って何?

ニュースや新聞で目にする表現の自由って言うのは日本国憲法に記載されている、憲法で認められている国民の権利のことだよ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生

日本国憲法21条

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

憲法は”基本的”に国のやる事を国民がルールを守ってねっていう基になるもの。例えば、もし展示会を行う時に補助金を文化庁が出しますよと言っていたにも関わらず、作品の内容に問題があるから補助金は出せませんと言って取りやめる決定は、検閲(けんえつ:公権力が書籍・新聞・雑誌・映画・放送や新書などの表現内容を強制的に調べること。)にあたるので、これは憲法違反になる。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

じゃあそういった作品なんかはどんなものであっても表現の自由で守られているんだね。

憲法上はその通りだね。しかし、各自治体で対応に困っている事態がない訳ではない。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

じゃあ自由って言えないんじゃないの?どんなの?

ヘイトスピーチは表現の自由か

特定の人種に対して差別的な言動で表現する行為をヘイトスピーチというんだけど、これは表現の自由を認めるべきか。法律では規制することとなっている。差別は人間の尊厳の根幹に関わる問題であり、許されるべきではないからだ。人権を侵害してはならない。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

人権を侵害するものは表現の自由で認めちゃいけないって事なんだね?

ヘイトスピーチは表現の自由には当たらないという事だね。過去の戦争で人権を無視した行いが横行(おうこう:悪事が盛んに行われること)していた。戦後、国連総会で基本的人権について宣言した世界人権宣言が採択された。世界人権宣言の七条では『すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。』とある。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

もし差別された人がいたら、国は放っておいてはいけないって事だね?

差別を受けた人が保護を求める権利があるという事だね。だから、保護の訴えを国は無視できない。あと、日本でもヘイトスピーチ規制法(正しくは、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」)が2016年6月に施行された。これは特に罰則などは設けていないので、実効性がどこまであるかは疑問が上がったけど、各自治体で対策を講じる(こうじる:問題解決のために手段、方法を考えて実施すること。)事となった。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

じゃあ、ヘイトスピーチは表現の自由じゃないし、ちゃんと自治体で対策してくれるんだね?

そうだね。ヘイトスピーチをするという事が事前に分かっている場合、市の施設を貸さないという方法をとったりしているね。ただし、専門家の間でも、表現の自由を侵害してしまわないかという懸念(けねん:気がかり)する人がいる。反対に積極的に人権侵害の可能性が高いと分かった時点で規制すべきだという人もいるよ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

ある程度決まっている中でも意見は分かれるんだね〜!

それだけ個人の自由と権利を守る事に慎重にならないといけないんだね。ちなみに、表現の自由を守る立場の専門家でも、決してヘイトスピーチを認めている訳ではないからね。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

そうだよね。人種差別は絶対ダメだよ。もし、差別する側がその差別される人種に生まれていたら、その人は自分にヘイトスピーチをするのかと言えばしないだろうしね!何に生まれるなんか自分で決められる事ではない訳だし。僕も熊に生まれるって自分で決めた訳じゃないしね!

そうだね。そして、差別表現を規制することと、表現の自由を守ることは決して矛盾している訳ではないはずだね。

ディアボロ先生
ディアボロ先生

自分の権利を守る為に、他者の権利を侵す(おかす:他者の権利・権限などを損なう行為をすること)のを正常だと思う人がどれ程いるだろうか。ほとんどの場合は自分の権利を守る必要があるとき、他者の権利を侵害する事をセットと思う人は少ないはずだ。どのような表現であったとしても、間接的に傷ついたと感じる人が出てしまう事はあるかもしれない。しかし、名指しもしくは特定の人種に対して人権を踏みにじる表現をする者や団体に対しては、表現の自由を認めるべきではないのではないか。法の下での自由とは、その他の法を守られる範囲でのみ許容されるべき随意行為であり、決してその他の法を無視した単独としての自由は認められるべきではないのではないか。

表現の自由を侵す検閲は、明らかな憲法違反である。国は検閲する事が認められていないからだ。もし、ある作品に問題があったとしても国は検閲が不可である以上、どのようなものも認めざるを得ないし、認めなければならない。しかし、もしその作品に人権を著しく侵害する内容が含まれていたとすれば、それは国民一人一人が考え、その作品に対して批判する事もまた自由なのだ。そして、もしその個人の人権を侵害したと本人が訴えた場合は、国は保護をする義務がある。

作品に問題があったとしても、それは見た側が自由に感想を持てば良い。そして、その作品をどのように表現しようとも個人の人権を侵す表現でなければ表現の自由は保障されている。そもそも芸術作品とはそういうものであろう。表現されたものをまた表現する。それは自由だ。そこに人権侵害があるかどうかが問題にされるべきであり、その他において主催者は特段気にする必要はないはずだ。

私たち個人としての歴史は短いが、人類の歴史の中で、自由を勝ち取ってきた。そして、それはあらゆる法によって守られている。その法を守る為にはその他の法との兼ね合いの中で、慎重な判断をしなければならない事が多々ある。目の前で起こっている事象に対して、正しい正しくないの判断は感情に任せてしまうと結果的に思ってもいなかった結果をどこかで起こす可能性がある。一人一人、そして全体として守りたいものは一つではなく、大切な守るべきものはたくさんある。そのたくさんある様々な事が入り乱れている中で、一つの問題を解決する際に必要なのは圧倒的な情報量である。その情報の繋がりを考えながら決定していく必要がある。このサイトも一つの考え方に過ぎない。ぜひ多くの情報に触れ、自分の答えを見つけてみて欲しい。

西 友広
  • 西 友広
  • 趣味:映画鑑賞(ジャンル問わず)
       山登り