パラドックスって何?
パラドックスという言葉を聞いたことはあるけど、一体に何なのかが分からない人は多いだろう。広い意味でパラドクスという言葉は使われるが、本来、正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から導き出される結論が論理的に矛盾している事を言う。今回は矛盾していなくとも直感的に受け入れ難い問題も扱い、遊び感覚で読んでもらえるよにします。
ディアボロ先生!駅の中の壁に「張り紙禁止」っていう張り紙が貼ってあったんだけど、せっかく注意を呼びかけてるのに、その「張り紙禁止」の張り紙も結局張り紙だからダメなんじゃないのかなって思ったんだ。別に悪い事してる訳じゃないんだけど、なんか矛盾してる気がするんだよね。
面白いところに気がついたね。それをパラドックスと言うんだよ。
パラドックス?
説明すると難しいんだけど、パラドックスとは正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から導き出される結論が論理的に矛盾している事を言うんだ。張り紙禁止の張り紙は、その張り紙自体も禁止されるべき対象だから、矛盾してる。そういう結論が矛盾している場合に使われるね。マー君はオーソドクスって言う言葉は知ってるかな?
オーソドックスとパラドックス
知ってるよ!オーソドックスって「普通」っていう意味で使われてるような気がする!
そうだね。「オーソ(ortho)」は「正規な」という意味なんだ。そして「パラ(para)」は「並んだ、異なる」という意味。「ドクソン(doxon)」は「意見」。だから、オーソドックスは正規な意見で、それに対してちょっと見方を変えた意見がパラドックスなんだ。どちらもギリシア語が語源だね。
なるほど〜!オーソドックスとパラドックスか〜!覚えたよ!ディアボロ先生!なんかパラドックスって面白いね!他にもパラドックスないの?
嘘つきのパラドックス
有名なのが嘘つきのパラドックスだね。
「私がいま話していることは嘘です」
この発言が正しいとすれば、「私がいま話していることは嘘」が嘘なので、「いま話していることは真実です」ということになる。
ならば、「私がいま話していることは嘘」は真実である。であるなら、やはり「私がいま話していることは嘘」となる。
「私がいま話していることは嘘です」が本当だったら、この文章自体が嘘だから、本当の事を話しているよってなるけど、本当の事を話しているってことは、嘘を言ってるって事になる。でもこの文章が嘘だとすれば、本当の事を言ってるって事。じゃあ嘘を言ってるって事が本当だから嘘をついてるって事って・・・。頭が変になりそう〜!
それがパラドックスだね。簡単に図解で説明すると下の様になるよ。
結局、ずっとこれが続いてしまうんだね!どうしてこんなことになるの?
それは、「私がいま話していることは嘘です」という発言が差す嘘が、その発言自体だからだよ。もし、「私がいまから話すことは嘘です」という発言だったとすれば、このパラドックスは生まれないんだ。
「私がいまから話すことは嘘です。私は熊じゃなくてキリンです。」っていう発言だったら、確かにパラドックスは起きないね!その発言が差すものがそれ自体だから問題なのか!じゃあ張り紙禁止の張り紙と一緒のパラドックスだね!
だからこれを「自己言及のパラドックス」と言うんだ。
言及(げんきゅう)・・・話があることにまで及ぶこと。
自分にまでその話が及ぶから自己言及なんだね!他にも自己言及のパラドックスってある?
「静かにしなさい!!」って先生に怒られた時に、「先生のその怒鳴り声が一番うるさいよ」って思ったことがある人もいるかもしれないけど、これも一つのパラドックスだね。
本当だ!自己言及すればパラドックスになっちゃうね!あれ?でもちょっとなんだか違和感が出てきたな〜。「静かにしなさい!!」はうるさい状態を止める為のものだよね?どちらもうるさいかもしれないけど同じものなのかな?
同じ言葉でも意味が違う。言語の階層性を理解しよう。
さすがマー君。良いところに気がついたね。例えば張り紙パラドックスを例にとって考えてみると、張り紙禁止の「張り紙」と、無断ではられた「張り紙」は同じなのかと言えば役割が違うよね。
役割は全く違うね!
無断で貼られた方の張り紙を「張り紙A」とすれば、注意を促す張り紙を「張り紙B」とする。この「張り紙B」は「張り紙A」を超えたもので、高い視点から見たものだと考えられる。だから『「張り紙B」=「張り紙A」を禁止する張り紙』という具合だね。
お!そうなると矛盾しなくなるね!パラドックスは起きなくなるね!
そういう事だよ。これは「嘘つきのパラドックス」でも「静かにしなさいパラドックス」でも同じ様に考えられる。言語には階層性があって、「張り紙」とか「いま話している事」とか「うるさい」という言葉一つとっても、別の役割を持つ言葉として表現されている別のものが存在しているという事だね。
言語の階層性か〜!僕の違和感を言葉にするとそんな格好良い感じで表現されるんだね!ディアボロ先生!他にも面白いパラドックスってないの?
抜き打ちテストのパラドックス
抜き打ちテストを受けた人も多いんじゃないかと思うんだけど、「抜き打ちテストを来週やります」って先生に言われたら、それはもう抜き打ちテストにはならないというパラドックスがある。
抜き打ちにならない?月曜日から金曜日までの間で、いつテストか事前に分かっちゃうってこと?
分かるというよりも出来ないが正しいかな。例えば、木曜日の授業が終わったら、残すは金曜日だけだよね。じゃあ明日は確実にテストがあるという事が判明する。
おっ!じゃあ金曜日に抜き打ちテストは出来ないね!
という事は、水曜日の授業が終わった段階で、木曜日にテストをしないと抜き打ちテストにならないから、絶対に木曜日にテストをしないといけないよね。
あれ?という事は水曜日の授業が終わった時点で木曜日のテストが確定するから、木曜のテストも抜き打ちにならない・・・。??
その通り。だから火曜日の授業が終わった段階で水曜日にテストをしないといけないって事が確定するね。
じゃあ水曜日のテストが確定するからこれも抜き打ちじゃない・・・。ディアボロ先生!そう考えると月曜日にテストをしても抜き打ちにならないよ〜!
その通り。期間が決められた抜き打ちテストは抜き打ちテストなのか疑問が出てくるよね。だけど、誰もテストの日を言い当てる事は出来ない。だから抜き打ちテストとしては成立するんだけどね。
本当だ!結局予測できないね!でも本当に抜き打ちテストをするなら、抜き打ちテストをするよって言っちゃいけないね!
まあ、先生の意図としてはテストの重要性より、ちゃんと復習しといてねっていう意味で言ってるんだろうけどね。
パラドックスという言葉は広い意味で使われますが、一つ一つ考えてみれば非常に面白いものが多いです。昔の偉人たちはパラドックスを遠因として新たな発想を生み出したと言われていますので、私たちもそれに習って考えを深めていっても良いかもしれません。