アメリカで黒人はなぜ差別されるの?②

前回では、黒人奴隷の歴史から南北戦争、そして公民権によって人種差別、人種分離が禁止される1875年までの話でした。今回は、1880年以降のいわゆる「ジムクロウ法」によって人種分離が州法によって認められる事となる話です。この人種分離は結果的に人種差別を認める事となっていく。

マー君
マー君

ディアボロ先生!前回の話だと、1875年の公民権法によって、黒人たちは差別を受けずにすむようになったと思うんだけど、2020年になってもまだ差別の意識は消えてないみたいだね。どうして?

差別の意識が世界から消えるのは本当に長い時間が必要なんだろうね。ちなみに1875年の公民権法は1883年に最高裁で個人の権利と対立する為、憲法違反であるとの判決が出た。それから、人種分離政策が急速に進んだんだ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

人種分離政策?

ジム・クロウ法

人種分離政策はまず、公共交通機関である船や電車、バスで人種によって座席が分けられる事などから始まった。そこから学校やトイレ、水飲み場など、色々な公共の場所で「白人用」「黒人用」という掲示がなされるようになっていった。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

完璧に差別だね!

もし分離するだけなら差別には当たらないかもしれないけど、実際に分離だけではなかった。これには白人にも被害が出ていて、例えば黒人の救急隊員は白人女性に触れる事が許されていなかったテネシー州で、白人女性が事故で怪我をして、駆けつけた黒人救急隊員が触れられないという理由で処置が出来ず亡くなったという事件もあった。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

ひどい話だね!そんな州法が他にもたくさんあったの?

そうだね。白人と黒人は学校が別であったり、白人と黒人は結婚が禁止されていたり、白人の看護師がいる病院に黒人は入れなかったりと、州によって様々な州法があった。それら人種差別的な州法を総称して「ジム・クロウ法」と言うんだ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

よくそんなひどい州法があったもんだって思うね!こんなひどい州法はいつまであったの?

ジム・クロウ法廃止は1964年

1880年代から広まっていった人種差別的なジム・クロウ法が廃止されたのは1964年の事だ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

そんな長い間、こんなひどい州法があったなんて・・・。遠い昔の話ではなかったんだね。これまでの話を聞いていると、奴隷制から人種差別の話が遠い遠い昔のことのように感じていたけど、実はそんなに昔の話ではないと思うと、今でもどうして人種差別がなくならないんだろうって事が分かってきた気がする。

そうだね。差別はなくならないという考えを持つ人は多いけど、実はものすごい長い時間をかけて、少しずつでも良い方向に進んで来てはいるんだ。だからこそ、今まで築き上げてきた人種差別撤廃の流れを逆行するような事件に対して、黒人たちが怒るのは当然の事とも言えるね。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

本当だね。そういえば、さっきディアボロ先生が「分離するだけなら差別に当たらないかも」って言ってたけど、どういう事?

例えば、白人用と黒人用の座席があって、どちらも同じ条件なら平等。これは差別に当たらない。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

そうだね。だけど、その時代は白人の方が有利な立場にいたんだよね?だから分離する事を白人達が決める事が差別になると僕は思うんだよね。

その通りだね。言葉を切り取ると差別にはならないけど、時代背景を考えれば、それは差別と言って良いものだ。マー君の指摘通りの結果になった例がある。

ディアボロ先生
ディアボロ先生

「分離すれど平等」は事実上差別の肯定となる

プレッシー対ファーガソン裁判(←概要はクリックするとウィキペディアにジャンプします)という有名な裁判がある。これは1896年にアメリカ合衆国最高裁判所が「分離すれど平等」の原則を打ち出し、鉄道などの公共施設における人種分離は人種差別に当たらないとの判決を下した裁判だ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

アメリカの最高裁判所が人種分離を認めたって事だね!

そうなるとマー君の指摘した通り、その時代においては人種差別を肯定してしまう結果となる。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

元々、平等な立場になかった白人と黒人の関係があるからだよね!じゃあ、この判決は人種差別にお墨付きを与えたってことになるんだね!

その通りだね。人種差別が合法化されたと言っても良い。その時代にリンチが増加して、市民によって殺される黒人の数が増えていったんだ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

リンチって何?

リンチとは?

リンチは法律に基づかない民衆が行う「私刑」のことだよ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

法律に基づかない?それは犯罪だよね?

本来そうだよ。だけど、州政府は黒人に対する憎悪(ぞうお:憎み嫌うこと)を持つ白人達の吐口だとして、見て見ぬふりをしていたんだ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

じゃあ人目のないところで、殴ったりして殺してたの?

そうではないんだ。リンチは新聞や雑誌で事前に告知されていて、大勢の人が見守る中で絞殺、撲殺、銃殺されたんだよ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

どういうこと?ひどすぎる!その殺された黒人さんは人を殺したりしたの?でも殺人だったら法律で裁かれるべきだよね?

リンチの主な理由は白人女性の強姦容疑や、白人女性になれなれしく接したとか、白人女性をチラッと見たという理由だったりする。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

強姦容疑なら警察に任せるべきだし、なれなれしいとか見ただけでリンチにあうなんて信じられない時代だね!しかも新聞や雑誌で告知して殺しちゃうなんて。

毎年100人程度がリンチによって殺害されたんだけど、今の時代では考えられない事が平然と1950年代後半まで行われていたんだ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

白人警官に首を押さえつけられて亡くなったジョージ・フロイドさんも、ある意味リンチみたいだね。彼だって死刑になるような事はしてないし。

第一次世界大戦では、10万人の黒人がフランスへ送られた。黒人達は、フランスには人種分離がなく自由の経験をした。彼らの多くは後に全米黒人地位向上協会(NAACP:National Association for the Advancement of Colored People)のメンバーとなり、公民権運動に参加する事となる。

奇しくも、戦争に参加する事でアメリカ以外を知り、自分たちが置かれている現状が如何に差別的であるかを理解することになった。

実は、奴隷解放後も悲惨な差別を受け続ける黒人の中には、奴隷時代よりもマシだと現状を肯定する人も多くいたそうだ。それは、自分たちが閉ざされた環境の中で、情報を遮断された環境にいたからだと私は考える。それはまさに情報統制による洗脳とよく似ている。この場合、彼らが他の社会と接する機会を奪われていたというよりも、今のようにインターネットが普及している時代でもない上、渡航するだけの金がないからであるが。

しかし、社会全体がグローバルの流れがあり、世界が小さくなる中で、他国との比較はどの国でも起こる。今後、差別意識は薄れ、黒人だけではなく、他の人種、特定の地域に住む人の差別は消えていく事を願う。

次回は、若干26歳で公民権運動の指導者的存在となったマーティン・ルーサー・キングの話です。彼のリンカーン 記念堂での演説、マハトマ・ガンジーに倣(なら)って非暴力での訴えをした事はほとんど誰もが知っているでしょう。

彼の演説の内容を知る事は、黒人差別の歴史や、今まで、そしてこれからの差別のない社会の教科書となっている事に気がつくはずです。

西 友広
  • 西 友広
  • 趣味:映画鑑賞(ジャンル問わず)
       山登り