「やまゆり園事件」と「T4作戦」

相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件は知らない人はほとんどいないだろう。しかし、第二次世界大戦時に、ナチス政権下で20万人を超える障害を持つ人たちが虐殺された「T4作戦」を知っているだろうか。この二つの事件には共通しているのは優生思想という考え方。私たちに他人の命を奪う権利はあるのか?

マー君
マー君

ディアボロ先生!障害者施設で多くの人が殺傷された「やまゆり園事件」って悲惨な事件があったけど、犯人の植松聖(さとし)っていう人はどうしてあんな事したの?

彼は犯行前に衆議院議員に犯行を予告する手紙を渡そうとしていたようだ。その内容は、「障害者は不幸しか作れない」「第三次世界大戦を防ぐ」という正常とは思えないような内容だったそうだ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

よく分からないね。彼はやまゆり園の職員だったんでしょ?

そうだね。しかし、彼は重度障害者を「化け物」と表現し、後に彼なりの家族への配慮として「心失者(植松氏の造語)」と呼び変えている。意思疎通が出来ないものは家族の負担であり、税金の無駄以上に不幸しか作れないと逮捕後に言っている。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

家族が負担を感じているから彼らを助けたいという気持ちと、税金を使うのがダメという考え方があったんだね。

もちろん家族は大変な思いをする事はあるだろうけど、彼は家族に直接問いかけた訳ではなく、自分の頭の中でそう考えて、家族の為だと言っているんだ。そして、日本の借金はまるで障害者に対する社会保障が大半であるかのような誤解をしているようにも見受けられる。

ディアボロ先生
ディアボロ先生

日本の借金1,000兆円!でも資産もあるよ

日本の借金はどんどん膨らんで、1,000兆円を超えたと言われているけど、負債はあるが資産もある。負債−資産=490兆円程度という指摘するのは経済学者の高橋洋一氏だ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

借金しててもお金を持ってるってどういう事?

例えば、マイホームを持っているほとんどの人が銀行などからお金を借りて、月々数万円程度返済している。これは銀行から借金をしているという事だね。だけど、その住宅は世帯主の資産でもある。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

もし、借金の返済が出来なくなっても、家を売っちゃえばプラスマイナスゼロって事だね?

もちろん住宅や土地の価値に変動はあるけど、簡単に言えばそういう事だね。日本は公債、政府短期証券、借入金などの負債を抱えているけど、現預金、有価証券、貸付金、出資などの資産も同時に保有している。一般家庭でも住宅ローンだけを見て「ウチは貧乏だ!まずい!」なんて言わないよね。土地建物、預金などをトータルして考えるのが普通だ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

そりゃそうだよね!借金1,000兆円という言葉にインパクトがありすぎて、資産の事なんて考えた事なかったよ!

日本の社会保障関係費

出典:国税庁ホームページ

ところで、植松聖死刑囚が危惧しているもう一つは社会保障関係費が財政を圧迫しているという話があった。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

社会保障関係費?

社会保障関係費とは、私たちが安心して生活していくために必要な「医療」、「年金」、「福祉」、「介護」、「生活保護」などの公的サービスに必要な費用を指す。これら公的サービスを社会保障というんだ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

なくてはならない税金の使い道だね!

その通り。そして、上の図を見てもらったら分かる通り、社会保障関係費は日本の歳出(さいしゅつ:会計年度における中央政府・地方政府・地方自治体等(公共部門)の支出をいう)の内一番多く使われているのが分かるね。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

本当だね!

今後、超高齢社会になって、更に社会保障関係費は膨らんでいくのは間違いないんだけど、だからと言って、じゃあ高齢者の年金を削減しよう、障害者に税金を使うのは間違いだという意見は早計(そうけい:はやまった考え。軽はずみな判断。)だ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

日本の借金問題はさっきのように資産を踏まえてない考え方だったもんね!それにさ、僕がおじいちゃんになったり、事故や病気で障害をもっちゃった時に、国から助けてもらえないって分かってたら、今から必死に勉強して日本から出ちゃうな。

そういう考えを持つ人もいるだろうね。ただ、障害を持って生まれてきたり、急に今日から障害者と呼ばれるようになったりするのは、誰も好きでなっている訳ではない。そんな人たちに対して不寛容な社会であれば、障害を持っている人やその家族だけではなく、今健常者と言われる人たちだって、不安の中で生活しなくてはならなくなるだろうね。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

だからこそ、社会保障関係費は絶対に必要だし、これからも切り捨てちゃいけないものだよね!

優生思想とは何か?

やまゆり園事件後に度々「優生思想」というワードが世間で飛び交った。優生思想とは優生学に基づくもので、身体的・精神的に優秀な能力を有する者の遺伝子を保護して、能力の劣ったものの遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に残そうという考え方だ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生

優生学(eugenics)・・・1883年にフランシスコ・ゴルトン(進化論で有名なダーウィンのいとこにあたる)が定義した造語。eugenicsはギリシャ語の「良い種」が語源。ゴルトンによれば、優生学は「生来の特質を最善の状態に導こうとする学問」であるとしている。

マー君
マー君

じゃあ優生思想は障害者差別を認めるの?

歴史的にそういう事だね。植松死刑囚は、重度障害者は不幸しか作れないと言っているが、もっと昔、第一次世界大戦(1939年から1945年)の最中に、ナチス政権下のドイツにおいて、この優生思想の下に20万人を超える障害を持った人たちが虐殺されたんだ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生

「T4作戦」とは

マー君
マー君

20万人以上?数が多すぎて想像できない!

2020年現在において、東京の渋谷区の人口が23万人程度。この障害者虐殺は「T4作戦」と呼ばれているんだけど、この「T4作戦」の犠牲者は少なくても20万人で、実際はもっと殺されたと言われている。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

渋谷区民よりも多い人が殺されたんだ。ひどい話だね。この「T4」ってどういう意味?

実は「T4」には意味は大してないんだ。「T4作戦」の本部の地名が「動物園通りの4番地」にあって、ドイツ語で動物園を「Tiergarten」と表記するから「T4作戦」なんだ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

ただの本部の場所なんだ!どうして意味のない名前にしたんだろう?

もし、「罪なき障害者虐殺作戦」という名前にしたらどうだろう。おそらく市民社会の反発は免れない。実際にこの作戦は秘密裏に行われて、遺族は殺害された家族は病気で亡くなったと殺害施設から手紙が届いた。実際にはガス室で一酸化炭素により殺害されていたんだけどね。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

やっぱり社会から認められないことは分かっていたから、そうやって暗号みたいな名前にしたんだね!それでも、たくさんの障害者が殺されたら、やっぱりおかしいってみんな分かるんじゃないのかな?

そうだね。「T4作戦」は1940年1月から始まって、1941年8月24日に中止されたんだけど、中止を促したのはキリスト教会からの抗議によるものだったんだ。フォン・ガーレン司教は「ナチスの行いは障害者に対する恵の死ではなく単なる殺害に過ぎない」と批判した。

ディアボロ先生
ディアボロ先生

ファン・ガーレン司教の説教の内容

「非生産的な市民を殺してもよいとするならば、いま弱者として標的にされている精神病者だけでなく、非生産的な人、病人、傷病兵、仕事で体が不自由になったすべて、老いて弱ったときの私たちすべてを殺すことがゆるされるだろう。」

NHK:ETV特集「それはホロコーストの’リハーサル’だった ~障害者虐殺70年目の真実~」より
マー君
マー君

その通りだね!生産性なんて言葉を僕もよく耳にするけど、生産的でない人間を殺す事を認めるなら、ほとんどの人が自然死できないよね!

そうだね。病気や怪我だけでなく、誰しも老いがくるからね。しかし、恐ろしいのは「T4作戦」は中止しても、地方自治体で勝手に作戦を継続していたという事実なんだ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

え〜!優生思想に賛成する人たちがいたってこと?

そうだね。それに加担したのが医師、看護師、介護士達だった。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

「やまゆり園事件」の植松死刑囚も介護士だったよね。人を守る立場の人たちが殺害に関わるなんて恐ろしい!

ナチス政権下での「T4作戦」の犠牲者は7万人程度で、作戦中止後の地方自治体による殺害数は13万人以上と言われている。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

ナチス政権では、ユダヤ人が虐殺されたという話は僕も知っていたけど、市民レベルで障害者虐殺が行われていたなんて、信じたくないよ。

SNS界隈では「生産性のないものは生きる価値がない」と言ったような発言を目にする機会があります。「やまゆり園事件」後に、植松死刑囚を擁護する発言をする人もいました。

障害者差別的な意見だけでなく、「病気になったのは自己管理能力がないあなたのせいだから医療費は全額自己負担が当然」といったような意見も目にします。

このような「生産性話」や「自己責任論」は全く理解ができない訳でもないのですが、それらが全て正しいとする社会が本当に望ましいのか。その発言をする人たちが本当にそんな社会を望んでいるのかと言えば、私はそうは思えません。

例えば、「ALS(筋萎縮性側索硬化症)になったら自分なら自殺するな」というような考えをSNS上で見かけます。決してこれはALSに限ったことではありません。

しかし、簡単に自殺出来るでしょうか?

病気を抱えて安楽死を希望する人がいるのは事実です。しかし、多くの方は生きる希望を捨てずにいます。それを未だ経験したことがない病気になったと仮定して、そのリアリティのない空想の世界をただイメージしただけで、自殺すると言うのはどうかと思います。

実際には、生きたいと願うかもしれません。それなのに「自分なら」と発言することが、今生きようとしている人を傷つけるのだと考えて欲しいと願います。

その「自分なら」というさほど深く考えずに反射的な想像力によって、障害者差別や病気の自己責任論が生まれるのではないかと私は考えています。

今回の記事で、本当は国の借金や社会保障関係費には触れたくありませんでした。それは、障害を持っていようとも誰しもが生きる権利があるのは当然のことという社会であって欲しいからです。お金の面は二の次で、まず誰しもが生きる権利を持ち、その上でお金の話をしようというのが健全であると考えているからです。

しかし、現在の日本の不寛容社会の中では、まずはじめに触れておかなければいけないと感じました。

なぜなら、差別的な発言をする人も、実は生活の不安や自分とは何かという悩み抱えていると考えるからです。ですので、まず植松死刑囚の話にそって考えてみようと思いました。

そして、残虐な事件を聞いてもなお賛同する人たちに考えていただきたいのは、実際にその殺害現場に立ち会ったと真剣に想像して欲しいのです。

それでもあなたは人を殺すことが正しいと思えるのかと問いたいのです。

この日本社会の不寛容性の中には想像力の欠如が関与しているように思えてなりません。

西 友広
  • 西 友広
  • 趣味:映画鑑賞(ジャンル問わず)
       山登り