【映画】バニラスカイ タイトルの意味は?


クロード・モネ アルジャントゥイユのセーヌ川(1873年)原題:The Seine at Argenteuil
画家は一瞬の情景を切り取る天才
バニラスカイは画家の描く情景の中で永遠を生きる不幸を描いた作品だと私は思っている。
この映画の中で唯一「バニラスカイ」と言う言葉が出たのは、ソフィアがディヴィッドの部屋で見たモネのアルジャントゥイユのセーヌ川を見た時。
デイヴィッドはこの絵の空を「バニラスカイ」と呼んだ。
このシーンはサラッと流れて、この作品を語ることはしなかった。しかし、この映画のタイトルとして使われている。非常に重要なシーンなのだ。
この絵は、モネが1871年にアルジャントゥイユに家族で越して、前向きに暮らしていた頃の作品とされています。
この絵を見て感じるのは「のどか」「落ち着く」ではないでしょうか?
構図の半分以上が「空」というは、見ている人に「自由」「空虚」という印象を与えることがあります。
この空は「バニラスカイ」であるので、空虚という印象ではなく「晩年」「死」「温かさ」という印象を持てます。
また、この時期のアルジャントゥイユは近代化が進んでいる最中で、実際には工場が建っていて煙突があり、実際は煙も出ていたかもしれません。
しかし、モネはそれらを敢えて描きませんでした。
この事実から察するに、モネがこの作品に込めた思いは、やはり「のどか」「幸福な日常」だと思います。
もしリアルな工場を描けば、時代の移り変わりや、仕事、労働を想起してしまいます。
彼は敢えてそれらを削除した。そしてこの作品全体を包む優しい色使い。これはのどかな町で、のんびり幸福な時間を味わっている、その一瞬を切り取った作品だと私は感じます。
では、そんなモネの作品が映画バニラスカイとどう関わってくるのでしょうか?
永遠の幸福などあり得ない
画家が切り取った幸福な瞬間。
もし、その瞬間が永遠のものとなったら。
バニラスカイの主人公、デイヴィッドはそんな永遠に続く幸福という牢獄に囚われる事となった。
全て自分の思い通りになる。結ばれなかった女性と結ばれる。仕事は上手くいく。全てが薔薇色。
私たちもそんな幸せを思い描くことがあるのではないでしょうか?
「もし宝くじが当たったら」
これはよく聞く話ですが、宝くじに当たった人の多くは不幸になります。お金さえあれば幸せになると思い込んでいる人は間違いなく不幸になると私は確信しています。
幸不幸は波のようなものだ。
と私は思います。
私は山登りが好きです。登っている時は辛いです。脚は痛いし息は切れます。しかし頭頂した時や帰宅した時の達成感はなかなかこれ以上ないと思えるほどの幸福感を味わえます。
なぜか?
日常よりも辛い状態に身を置けば、日常が如何に幸福なのかを実感できるからです。
ですから、幸福になりたければ辛い思いをすれば良いだけです。この簡単な原理を知れば「宝くじが当たれば幸せ」なんてことを言わなくなるはずです。
なぜなら宝くじが当たれば、お金を持っている状態が日常になります。では、そのお金はさらに増やせるでしょうか?
増やせるなら幸福は続くかも知れません。
しかし、現実は減る一方です。なぜなら増やせる能力がある人は宝くじを買わないからです。
宝くじを買う人はお金を減らす人です。
日常にもし10億円というお金が舞い込んできても、それは次第に減っていくだけとなります。
では、減るというのはどういう気持ちになるでしょう。
確実に不幸に感じるようになります。
だから、10億円が当たった人は、不幸になるのです。
これは、一つの例え話ではありますが、この作品でも永遠の幸福などないと言っています。
では、この作品ではどのようにそれを表現しているのでしょうか?
美味しいものでも食べ過ぎれば吐き気がする
この作品では現実ではない世界に切り替わった瞬間から空がバニラ色になります。
先ほど述べたように、モネの描いた絵のような幸福を感じる一瞬の世界の中を生きるという表現だと思います。
また、バニラのように甘い世界になったという表現でしょう。
せっかくバニラという言葉を選択した訳ですので、この甘ったるさはこの映画の鍵になるでしょう。
バニラは多くの人が好きな食べ物です。
しかし、ずっとバニラを食べ続けたと想像してみてください。
甘くて美味しいものも毎日食べていれば、甘ったるく吐き気のする気持ちの悪いものに変化するはずです。
デイヴィッドは潜在意識の中に罪の意識がある為に、ソフィアとなくなった女性を重ね合わせてしまいました。
しかし、それだけでなく、ただ幸福な世界だけでは幸福を感じられなくなったとも言えるのではないでしょうか?
幸福なだけの世界に吐き気をもよおしてしまう。
なぜなら彼はあの世界に150年もいたのですから。
私たちはあの世界にいたのは数日のように見えていますが、実際は150年と告げられています。
彼は長期間幸福の中にいましたが、とうとう吐き気を催したという事でしょう。
逃げ続けたデイヴィッドが人生と向き合うために死ぬ
父の会社を継いだことで自由に生きていたデイヴィッド。
容姿に恵まれ女性との関係も思いのまま。
しかし、実際はそれらと向き合わなければ、いずれ破綻していたことは言うまでもありません。
結局、女性を蔑ろにした結果、女性と共に橋から落下し彼の中で最も誇れる顔を失うことになった。
彼は顔を失ったが、顔とは何なんだろうか?
顔は鏡を使わなければ自分で見ることができない。
もしこの世に自分しかいない世界なら顔なんて何だって良いはずだ。
顔は他人にどう認識されるかの評価に使われるもので、自分一人なら不要なものだ。もちろん機能としては必要なのは言うまでもないが。
そんな顔を失い人生が終わったかのような彼はどういう存在なのか。
彼は、自分がない人間なのだ。
だから他者評価が全てで、他者評価がなければ存在する意味が見出せない哀れな存在なのだ。
彼は自由を謳歌していたように見えるが、実際は他者評価を得るために必死に顔を武器にしてYESを獲得しようとする哀れな存在だったのだ。
そんな彼は、永遠の幸福という不幸な時間から解放され、現実と向き合うことを決めた。
それがこの映画のラストだったんではないでしょうか?
この作品はリメイク版で、原作は「オープンユアアイズ」で、こちらはほとんど内容は一緒で、ソフィア役はペネロペクルスがどちらも演じている。
しかし、私はバニラスカイの方が好みで、それはやはりバニラスカイというタイトルセンスに惹かれるところがある。
興味のある人はオリジナル版もぜひ見てみてほしい。