安楽死④〜日本に安楽死は必要か〜

安楽死容認国や自殺幇助は罪に問わない国がある中で、日本はどちらも認められていません。なぜ日本には安楽死の制度がないのか。そもそも必要なのか。日本人も安楽死を求めて海外へ行く時代になった昨今。議論を避けて通れなくなってきた問題の一つだ。

マー君
マー君

日本で安楽死が認められていなかったとしても、実際に日本人が海外で安楽死をしているんだよね?やっぱり日本にも安楽死の制度が必要なのかな〜?

安楽死を認めている国では個人主義思想が強いという特徴がある。もし家族が安楽死を求めた時に、本人の意思を尊重して安楽死を見届けようというのが特徴だったりする。もちろん全員がそうではないけど、日本だったらそれはあまり考えられないかもね。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

だけど、日本でも安楽死を求めている人がこれからもきっと増えるよね。そういう手段があるんだって多くの人が知ったら、変な言い方だけど、希望を持って安楽死という道に行っちゃう気がするんだよね。

そうだね。だからこそ安楽死を議論する前に「緩和ケア」をもっと多くの人に誤解なく知ってもらう必要があるんだと思うよ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

「緩和ケア」ってなに??

命に関わる病気を患う(わずらう)患者とその家族が抱える様々な苦痛や問題に対して、QOL(キューオーエル:生活の質)の改善を目指すケアの事だよ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

末期ガンとかで苦しいのを止めてくれる薬を打ってくれること?

もちろんそれも一つだね。だけど末期だけでなく、病気と診断された早い段階でも行われるケアだよ。苦しいというのも色々あるけど、痛みとか呼吸困難、むかつき、嘔吐(おうと:吐くこと)、不安や鬱(うつ)などの精神症状にも対処するんだよ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生

WHOによる緩和ケアの定義

緩和ケアとは、生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者とその家族のQOLを、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見出し的確に評価を行い対応することで、苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチである。

WHOによると、緩和ケアは死を早めたり遅めたりするものではないと。そして、患者の病の間も死別後も、家族が対処していけるように支援する体制を提供する事としている。

安楽死を考えて

私は人種にある程度の違いはあれど、家族(親や兄弟や子ども配偶者全てを含む)がいる人は、安楽死を選択する割合がかなり少数になると思っています。そして医学の進歩、緩和ケアにより苦痛から解放される人が多くなっているという事実があります。もし、死の前には苦痛を伴い、苦しんで逝かねばならないというイメージが、積極的安楽死容認の賛成意見になるとすれば、それは正しい理解を深めて緩和ケアなど他の方法もあることを知って欲しい思っています。また、難病によって身体の自由を奪われる見込みがあり、安楽死を希望する人の中で、家族や周りに迷惑をかけるという考えから積極的安楽死容認の賛成意見が出るのであれば、それは今後積極的に国がサポートを手厚くしていかねばならないと思っています。

健常者もたまたま健常者なのであって、障碍(しょうがい)を持った方もたまたま障碍を持っているに過ぎないのです。先天的か後天的かの違いはありますが、自分の意思で障碍を持った訳ではない方々にとって個人の尊厳を持って安心して生活できる国こそが、健常者も安心して暮らしていける国であると信じています。もちろん財源等の問題があります。ですので、障碍を持つということを人ごとではなく自分自身や自分の家族の身に降り掛かったと想像した時に、どのような感情、どのような思いを持つのかを真剣に考えることが第一歩だと思います。

また、人生の最期をどのように迎えるのか。死は年齢に関わらずやってきます。それは明日かもしれません。そんな事を安楽死について調べながら何度も想像しました。あまり幸せな気持ちにはならなかったというのが本音です。しかし、どのような死を迎えたいかを考えた時に、どのような人生であったか、どのような生き方が自分は出来たのかを真剣に考えるきっかけになり、結果的に今自分に何が出来るのかを真剣に考える時間となりました。

日本では積極的安楽死は認められていませんし、尊厳死も法制化されたものではありません。しかし、人生の最期をどのようにしたいかを家族、医療ケアチームと何度も話し合い、それに基づき終末期の医療をどのように受けるかを決めることができます。医療従事者と話をする機会は末期または持病を患っていなければあまりないかもしれませんが、家族と話し合っておくことは出来ます。

安楽死の記事を書くまでは、安楽死を認めるべきだという考えが私の中にあったのですが、今の私の意見は違います。安楽死を認める事、それは医療の限界ではなく、国の問題ではありません。一人一人が死に対して無関心であった為に安楽死という選択が普及していったのではないかと考えています。そして、日本でも今後そのような流れにならないとも言えないと思っています。

病気だから死期を早めて欲しいと本心から願う家族や親友はいないはずです。もしそのように思わなければならないとすれば、それは環境によるもののはずです。適切な医療を受けさせられない(苦しむ姿を見たくないなど)、介護者自身の体調の問題などであって、環境が整っているにも関わらず見捨てられることがあるでしょうか。また、家族がいなくとも、死ぬ前日であっても、何か出来ることはあるはずです。人生の最期を迎える人たちのストーリーに触れ、そのように感じました。

このブログを読んでいただいた方が私と同じ考えとは限りませんが、安楽死を通して人生や他者を考えるきっかけになれば幸いです。

西 友広
  • 西 友広
  • 趣味:映画鑑賞(ジャンル問わず)
       山登り