安楽死②川崎協同病院事件について
平成10年11月16日に発生した川崎協同病院事件。平成10年11月2日、気管支喘息重積発作により心肺停止となって同病院に運び込まれた患者に対して、救命措置によって 蘇生し,気管内チューブを挿管したままではあるが自発呼吸ができるようになった。しかし、重度の低酸素性脳損傷による昏睡状態を脱することができず、重度の気道感染症と敗血症も合併していた。被告人となった医師は16日、自然の死を迎えさせ るためとして気管内チューブを抜管し、その後に発現 した苦悶様呼吸を鎮静化させるために、鎮静剤のセルシン及びドルミカムを投与し、 さらに筋弛緩剤であるミオブロックを投与し、患者はその日のうちに死亡した。
なぜ医師は殺人罪に問われたのか?
・本人の意思を確認していない(確認できる状態ではない)。
・医師は家族に対して消極的安楽死をする事の同意をとってはいたが、家族に対しての診断が適切であったとは言えない(余命を推定できる程の脳波や画像などの臨床的情報の欠如)。
・筋弛緩剤の投与。
筋弛緩剤の投与が直接死因を形成するものではあるが、抜管と併せて全体として治療中止行為の違法性を判断すべきものである とし、最高裁は医師に対して1年6ヶ月、執行猶予3年の判決を出した。
延命治療の中止は消極的安楽死だよね?
そうだね。日本には法律はないけど尊厳死という言い方をしているね。
この事件はまだ生きられる人なのに延命治療を終わらせたからダメって事?
そういう事だね。患者本人が治療を終わりにしてとは言えない状況の中で、家族にお願いされた医師が延命治療の中止をしたという事だね。
予想していなかった事故とか急な病気で、延命治療をしないと死んじゃうってなった時に、延命治療の中止は誰も決められないって事?
もし、治療の術(すべ:方法)がない場合には家族が代理にお願いすることはあるよ。ただし、それはこの事件と同じだけど、余命を推定できる(いつ亡くなるか分かるくらい)検査をしっかりした上で、お医者さんが家族に説明して納得した上での事だね。治療義務の限界という表現の仕方があるんだけど、お医者さんがこれ以上何も出来ないという根拠が必要だね。
お医者さんは責任重大だね!
その通りなんだ。もう手を尽くせないという判断ができるのは看護師でなく、家族でなく、お医者さんだけだからね。
この事件については医師と被害者家族の意見とは大きく相違している点がある。また、筋弛緩剤を投与したとされる看護師の供述に対してこの医師は否定している部分がある。看護師はミオブロック(筋弛緩剤)を3アンプル自らが投与したと証言しているが、医師は1アンプルで看護師が投与する訳がないと証言している。3アンプル投与すれば即死するようだが、この患者はしばらく呼吸を続けていたと看護師は証言している。裁判ではこの看護師は、「当時,経験が浅く,ミオブロックを静脈注射すれば直ちに呼吸が止まることを知らなかったのであるから,注射後もAがまだ 生きているかのように見えたとしても不自然ではない。」としている。家族は延命治療の中止の願いはしていないという内容の発言があったがこれは認められていない。裁判記録を見る限り、この医師一人に全ての責任を負わせる内容と感じる。もちろんこの病院にはこの医師以外にも多くの医師がおり、アドバイスをしている他の医師もいる。この事件をこの医師一人の問題としてしまう事に私は違和感を感じる。
なぜ事件は発覚したのか?
元々は、この医師と患者家族との間で延命治療の中止で争った事件ではなかったのだ。裁判記録によると「平成 13年,同病院内において被告人と麻酔科のN医師との間で麻酔器の使用を巡る対 立が生じたところ,同年10月下旬,Nが,当時の院長Oに対し,A(延命治療中止で亡くなった患者)のカルテのコ ピーを見せて,被告人を辞めさせなければコピーをばらまくなどと言って迫った。 Oは,医療倫理的,法的に問題があると考え,管理会議に報告し,事件が再び問題となった。そして,事件は公表される方向となり,同年12月30日,被告人は退職届を提出し,同病院幹部は,平成14年4月に記者会見をして,事件を公表した。」という経緯がある。かなりのタイムラグがあるのだが、結局マスコミへのリークでこの事件が報道され騒がれるようになった。
事件当時の記憶を頼りに証言するというのは難しいのではないかという問題と、医師が記入するカルテと看護師のカルテの相違もあり、どちらが正しいのかという論争自体正確性を欠き、全ては推測に過ぎないのではないか。証言の正当性はあくまでも正当性であって事実かどうかは確実ではないのではないか。
最高裁では、筋弛緩剤の投与だけを取り上げるのではなく、抜管行為と延命治療の中止行為自体に違法性があるとし、殺人罪の成立を認めたのであるから、この事件は詳細に多少の食い違いがあろうとも殺人罪は成立していたと思われるが、病院側の責任に関して、発覚までの流れに違和感があったりと、判決後も腑に落ちない点が多い事件である。
患者の意思表示とは
日本で医師が関わった安楽死事件は他にもあるが、医師が殺人罪に問われない為の積極的安楽死の許容要件がある。これは横浜地裁が示したもので、以下の4要件である。
1、耐え難い激しい肉体的苦痛が存在する
2、死が避けられず、かつ、死期が迫っている
3、肉体的苦痛の除去 緩和方法を尽くし代替え手段がない
4、生命短縮を承諾する明示の意思表示がある
この要件を見る限り、積極的安楽死や尊厳死が認められている国の要件と同じようである。しかし、医師が殺人罪に問われたケースのように、本人の意思を確認できる状況でなければ、実行出来ないことになる。安楽死を考えるのはほとんどの場合、絶望的な苦痛が始まってからであり、その前の段階で安楽死を希望すること自体稀ではないか。しかし、患者家族の意見に重きを置きすぎるのも危険である。厳しい言い方にはなるが、その家族にとって不要な者は死んでも良いという事になりかねないからである。それだけ終末期の安楽死に対する法律的許容は難しいと言える。
川崎協同病院事件は最高裁まで争われましたが、最高裁では治療中止を許容する明確な要件を示していません。やはり法的に生命短縮行為にお墨付きを与えるのを避けたと言えます。