なぜ権力の暴走を擁護するのか?②

私たちは日々社会の中の一員として生きている。学校や職場では周りとの関係を壊さないように注意して生きているにも関わらず、ネットの空間では容易に他者を批判し、時には暴言が飛び交う。そんなネットという環境特性を理解し、匿名での他社批判発言がいかに無責任なのかを心理学の側面から説明し問いたい。

マー君
マー君

ディアボロ先生!「桜を見る会」で首相とか官房長官を批判する人たちを批判する人が結構いるよね。ネットで見たんだけど、例えば「そんな事にわざわざ国会の貴重な時間を使うな」とか「こんな事問題じゃない」っていう意見があるんだけど、そもそも税金を使った公的行事なんだから早く証拠を出してしまえばおしまいだったんじゃないの?

その証拠がことごとく消えていくから何も出てこないし、回答が得られないからね。こうやって答えず時間が経ってしまったら、マー君が見たような意見を言う人は増えるだろうね。ただし、そもそも問題を明らかにすればおしまいの話なんだけど。ちなみに予算委員会でこういった追求がなされるけど、他の審議は同時に進められている。野党が審議拒否する部分もあるけど。。その点については正しいかどうかの意見は分かれるだろうけどね。ちなにに自民党が野党時代に審議拒否した回数は85回。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

ふ〜ん。審議拒否っていう方法があるんだね〜。ところで思ったんだけど、抗議する人もいれば、ただ馬鹿にする人もいるよね。これはどっちの立場の人を見ててもあるけど、どうしてそんな簡単に馬鹿にして批判できるのかって思うんだ。

なるほど。馬鹿にするっていうのは、何も知らないくせにと見下げて軽蔑する人がいるってことだね。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

そうそう。もし、意見の違いがあるんだったら議論できると思うんだけど、議論する感じじゃなくて、ただ軽蔑する人がたくさんいるんだ。

「置き換え」という対象の問題回避手段

議論しようという場合を除いて、ただ相手を軽蔑する為に相手の意見を批判するのは、もしかすると「置き換え」という問題回避手段を無意識に使っているのかもしれない。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

「置き換え」?

例えば、会社の上司に対して不満があるのに、それを言うと問題になるのではと思って無意識にその情動を抑圧(よくあつ:行動や自由を無理におさえつけること)してしまう。その抑圧された情動は決して消えてなくなる訳ではなく、どこかで湧き上がって違う形や、そのままの形となって別のところで発散されることになる。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

イライラとかを直接相手に出せないから、他の人に当たっちゃうんだね?八つ当たりだ!

八つ当たりだね。それが「置き換え」という防衛機制だ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

防衛機制?

防衛規制とは?

機制とは「仕組み」の事だね。防衛するための仕組みだから、自分の心を守るための仕組みだね。もし、自分の心を守る仕組みがないと、毎日たくさんの感情を揺さぶられるような嫌な体験が解消されずに溜まり続けてしまう。そうすると心はあっという間に疲れ果ててしまう。だから「置き換え」という手段を取る。他にも様々な防衛機制はあるよ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

なるほどな〜。じゃあ直接上司に言えないから政治家の文句を言っちゃったりするんだね!

そういう場合もあるという事だよ。さっきも言ったように、もし議論出来るような冷静な意見だとすれば、それは「置き換え」ではなく、「知性化」という防衛機制が働いていることになる。知性化は理屈や知識で葛藤を処理するもっとも適応性の高い防衛規制だね。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

知性化か〜!僕はいつも知性化できるようになりたいな!

そうだね。ちなみに上司から別も人への「置き換え」だけじゃなくて、当然、友達や部下や同僚やチームメイトへの感情を、第三者に「置き換え」して発散する事だってあるからね。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

じゃあ、批判している人を批判する人も、同じ防衛機制が働いているかもしれないって事だね?

そうだね。例えば首相が批判されているのを見て、自分の置かれている立場と重ね合わせる。自分が普段から部下や同僚や客などに言われている(思われているであろう)批判と、首相を批判している人たちの批判を重ね合わせる事で、「置き換え」をする準備が整う。だから、どういう立場であっても「置き換え」という防衛規制は成り立つよ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

ネットではものすごいひどい言葉が飛び交っているんだけど、これって「置き換え」が原因だよね?

なぜネット上では過激な発言が増えるのか?

もちろん違う場合もある。「置き換え」の場合は対象者に対して直接ぶつかり合う事ではない。だから、実名と実名でやりとりしている場合は、あまり「置き換え」だと言えないかもしれない。ただし、「置き換え」は簡易で実生活において問題を避ける事ができるという利点がある防衛機制だから、いくら実名であっても実際に会う事がなかったり、その批判のやり合いによって自分の生活になんら問題を生じさせなければ「置き換え」である可能性が高いよね。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

という事は、ネットの中でひどい言葉がいっぱい出てしまうのは、実生活とは関係のない場所だからという事だね!

そうだね。実生活に影響を及ぼさない場所で、抑圧されているものを吐き出せるネットという空間は非常に便利なはずだ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

そうだよね〜。特に匿名の人が多いもんね。僕は匿名の人のコメントはあまり信用してないけど。匿名って卑怯だって思ってたけど、自分を守るための大事な八つ当たりっていう方法だったんだね!

そうだけど、それで誰かを傷つけてしまうなら、やっぱり卑怯だと思うよ。だから、抑圧されたものを吐き出せる場所を、誰にも迷惑をかけない場所で確保するのが良いし、さっき言ったような「知性化」という防衛機制があるということをまず知って、その為に自分を高める行動を取れば良いと思うよ。

ディアボロ先生
ディアボロ先生
マー君
マー君

そうだったね!じゃあクリスマスにサンタさんにサンドバックもらうよ!

知性化の話聞いてた?

ディアボロ先生
ディアボロ先生

念の為、すべての言動が「置き換え」だと言っている訳ではない。しかし、ネットの空間はその特性故、「置き換え」が氾濫しやすい場所である事は間違いないだろう。

抑圧とは抑制という言葉と似ているが、全く違うものだ。抑制とは感情や欲望、衝動的な行動を起こさないように抑える事であり、これは随意的なものであるのに対し、抑圧は無意識のうちに押さえ込むものである。

だからこそ、自らの行動のエネルギーがどこから湧き上がってくるのかを理解する事が難しい上、その衝動を抑制し続けると、自らの体や心を破壊することになりかねない。

私たちは、日々社会の中の一員として存在しており、自分の感情を常に出しっぱなしにする訳にはいかないのだ。そんな私たちの心を守る為に無意識は常に心のコップの容量がいっぱいになる前に、どこかで吐き出そうとタイミングを見計らっている。

思いがけず泣いてしまったり、どなってしまったりするのは、そういった抑圧されたものが出るタイミングを失って、限界を迎えた瞬間なのかもしれない。

決して、他人を軽蔑し攻撃する行動を認めるつもりはないが、そういった気持ちを理解することで、対処の仕方を見つけられるのではないかと思っている。

だからこそ、私は名前を常に公表し、記事を書いているし、Twitterも同じである。それは、自分自身を追い込む為ではなく、「置き換え」という手段をとる繋がりを排除し、常に「知性化」を求めているからである。

西 友広
  • 西 友広
  • 趣味:映画鑑賞(ジャンル問わず)
       山登り