【動画配信】伊藤詩織さん山口敬之さん事件で考える性暴力事件の難しさ

伊藤詩織さん山口敬之さん事件で考える性暴力事件の難しさを解説します。被害者の多くは警察に相談しないだけでなく、誰にも相談せず一人で抱え込んで生きている。そんな社会は正常と言えるだろうか。今回の伊藤氏勝訴は希望ではないと筆者は思う。彼女の活動そのものが希望なのであって、今後の第二審以降の結果は大きな問題ではない。

2019年12月18日、性暴力被害で伊藤詩織さんが山口敬之さんを民事訴訟で訴えていたが、判決が下り結果は伊藤詩織さんの全面勝訴でした。

そもそもは警視庁高輪署が逮捕状を取り、成田空港で山口氏の帰国を待ち逮捕することになっていたのだが、当時の警視庁刑事部長だった中村格(なかむらいたる)氏が逮捕直前で逮捕の中止を決めた。

もし、逮捕後に起訴されれば刑事事件として裁判で検察と被告人(山口敬之氏)が争うことになったのだが、起訴される以前に逮捕も取りやめとなった。

その結果、刑事事件としてではなく、民事事件として被害者である伊藤詩織氏が直接、被告である山口敬之氏と争わなければならなくなった。

性暴力事件は刑事事件として取り扱われにくい

まず、性暴力事件と言っても、様々なシチュエーションがあり、一概に言えないところはあるが、まず知っておいて欲しいことは加害者との関係である。

出典:警察庁ウェブサイト

加害者の70%以上が知人(家族や元交際相手、職場の関係、友人を含む)である。もし、見知らぬ人間から突然性暴力被害を受けたのなら、即事件として取り扱ってもらえるだろう。しかし、知人が加害者である場合には、その関係性がどのようなものであったのかや、同意があったではという問題があり、決定的な証拠が弱く、刑事事件として検察が起訴しないケースが多いのだ。

起訴されると99.9%有罪という事実から考える

もし、何かしらの罪で逮捕された場合、弁護士を雇えばまず不起訴になる為に活動してくれます。不起訴になるための証拠集めであったり、被害者への示談交渉などです。

なぜそのような事が必要なのかと言えば、もし起訴されれば99.9%有罪になるからです。であるから刑事事件で裁判が行われている場合、そのほとんどは有罪は確定した上で量刑を審議しているようなものと言える。

なぜ、ここまで高い数字が出せるのか。それは検察は有罪に出来ると判断したものでない限り起訴しないからだと言われている。

民事と刑事と違いは、民事訴訟は人と人や人と会社などの私人間の紛争解決の手続きであるのに対し、刑事訴訟では被告人が犯罪を行ったのかどうかや刑罰を科すかどうかを判断する手続きである。そして、その際に必要な証拠に大きな違いが意ある。

まず、刑事事件では国(検察)が被告人の有罪を証明しなければならないのだが、その際に必要なのは「無罪推定」や「疑わしきは被告人の利益に」という考え方だ。当然ながら冤罪が発生してはいけないからであり、その為には十分な証拠が必要なのだ。

では民事事件はどうだろうか。先ほど説明した通り、民事では被告の有罪を証明し刑罰を科すかどうかを判断する場ではなく、私人間での紛争解決の手続きなのだ。よって、合理的な疑いをさしはさむ余地のない程度にまで証拠を積み重ねる必要性は刑事事件ほど高くなく、証拠を元に双方の言い分が、よりどちらが「確からしい」かを確かめる場である。

そのように見ていくと、検察が起訴し、刑事訴訟を起こすのは民事訴訟よりもハードルが高い事が想像できる。だからと言って、99.9%という有罪率はあまりにも異常ではないかと思うのは筆者だけではないだろう。

この数字を出そうと思えば、有罪がほぼ確定しているものしか起訴しないとするしかないのではないだろうか。そうだとすれば、この数字を維持する為には、疑わしいものまで不起訴になる事があるのではないか。

ならば、より一層性暴力犯罪の多くが刑事事件化しない要因の一つにならないだろうか。

被害者が民事訴訟で争うという拷問

まず性暴力被害者の約70%は誰にも相談せず、苦しみを一人で抱え込んでいるという事実がある。警察に相談した件数は5%にも満たない。もし、窃盗事件や詐欺事件、殺人事件などが発生した場合、ほとんど全てが通報され犯人逮捕が急がれる。しかし、性暴力(準強制性交)の場合、そのほとんどがスルーされてしまい、社会的には何もなかったかのように振る舞われているのだ。

しかし、実際には多くの被害者がいる。先ほども述べたように加害者が知人である場合には、同意の有無やそもそもの関係性が問題になり、同意の有無に関しては証明のしようがないと言って良い。

そんな状態であれば刑事事件になりにくいのは当然と言えば当然なのだが、ある程度の状況証拠や目撃者証言がある今回の伊藤詩織さん山口敬之さん事件においてまで、刑事事件化しなかったとなれば、もはやほとんどの準強制性交事件は刑事事件化しないという印象を持ってしまい、多くの被害者が今まで同様泣き寝入りするしかなくなるのではないか。

そして、刑事事件で争うとなれば、それは検察対被告人という構図になるのだが、民事事件であれば原告対被告という構図であり、この原告は被害者本人となる。

心に傷を負いながら裁判で争うというのはどれほどの苦痛があるのかは想像に難くない。なぜなら、被告は徹底して無実を主張し、戦いを挑んでくるのは間違い無いからである。

そもそも、多くの被害者が自分にも落ち度があったのではないかと自分を責めてしまうこの社会の中で、刑事事件ならまだしも、民事事件として自ら争う覚悟を持ち、争い続けられる人がどれだけいるだろうか。

まだ第一審を終えたに過ぎない

今回の民事訴訟は、伊藤氏の勝訴となったのだが、それはまだ第一審を終えたに過ぎず、山口氏は控訴すると言っている以上、争いは終わった訳ではない。

伊藤氏のようにサポートをしてくれる仲間がいたとしても、遠ざかっていく仲間もいたと発言している通り、失うものは多い。

私が思う事は、やはり私人間の紛争という形で社会から切り離すのではなく、それが罪に問われるべきなのかを検察が徹底して捜査し、明らかにして欲しい。検察にはそれだけの力があるはずなのだから。

そして、最後に今回の事件で付け加えておきたい事は、山口氏は立場を利用したつもりはないという趣旨の発言をしているが、そもそもの接触目的がその立場故に発生したものであり、そしてその当日に事が行われたとするならば、それは客観的に見て立場の利用以外考えられないのだ。それはそれでまた別の問題を孕んでいる。

西 友広
  • 西 友広
  • 趣味:映画鑑賞(ジャンル問わず)
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