アメリカで黒人はなぜ差別されるの?③
マーティン・ルーサー・キング牧師を知っているだろうか。彼は若干26歳で公民権運動の指導者的存在となり、黒人差別撤廃に尽力した。1964年、1965年の公民権法は、彼や彼を支持する者たちの努力によって勝ち得たものだ。そんなキング牧師の演説、活動を通し、その後のアメリカを見ていこう。
ディアボロ先生!1964年にジム・クロウ法はなくなったって話が前回あったけど、黒人差別的な州法は、誰も何も努力しないで、勝手になくなる事はないよね?
もちろんそうだね。それにはたくさんの黒人や、差別はおかしいと思う白人、色んな人種の理解と努力があって得られたものだよ。特に1964年、1965年に認められた公民権法は、今のアメリカに黒人の議員が増えるきっかけと言っても良いくらい大きな出来事だった。その公民権運動の指導者的存在だったのがマーティン・ルーサー・キング牧師だ。
マーティン・ルーサー・キング牧師?どんな人なの?
キング牧師はマハトマ・ガンジーに倣(なら)って、非暴力で人種差別撤廃運動を行った人なんだ。彼のリンカーン 記念堂での演説はあまりにも有名なだけでなく、当時のアメリカがいかに差別が当たり前であったのかを教えてくれる。そして、今では当たり前に思えるような事が当時の彼の夢として語られているところを注意深く聞いてみてほしい。
” I have a Dream “
差別されていても、恨んだり憎んだりしてはいけないって言ってるの?それってすごく大変な事だよ。今まで差別されるだけじゃなくて、リンチにあったりもした黒人たちが、当時、非暴力で公民権を獲得しようって、すごい苦しい事だよね。
そうだね。彼は人種差別撤廃には「尊厳と規律の高い次元の闘争」が必要で、暴力で訴えれば同じ事を繰り返すと言っているね。
それは分かるんだけどうやっぱり難しい事だよね。そんな中でも実際に多くの人がキング牧師を師事して非暴力で活動したというのは、すごい努力だね。それに、奴隷の子孫と主人の子孫が同じテーブルを囲む事が夢だって、1963年に言ってるんだよね。今それが当たり前かは分からないけど、それが夢だっていう時代だったんだってあらためて驚いてしまうね。
当たり前の権利を獲得するのに何百年とかかって今があるんだ。元々は奴隷としてアメリカに上陸した黒人が、その子孫達まで差別され続けて、アメリカ国民として投票権すらまともになくて、バスに乗れば白人に席を譲り、白人女性を見ただけでリンチに合うような時代。では、次にキング牧師の活動を一緒に見ていこう。
モンゴメリー・バス・ボイコット
アラバマ州のモンゴメリーの市営バスは、前方座席には白人、後方には黒人が座るというルールがあった。ただし、白人の乗客が多い場合、黒人は席を譲らなければならない。「分離すれど平等」の原則はどこへやらで、結局分離とともに差別は南部諸州において当たり前となっていた。
バスでは白人に席を譲らなければならないって話はしたけど、そこで黒人少女のクローデット・コルヴィンが白人に席を譲らなかった為逮捕されるという事件が1955年3月2日に起きた。
逮捕されちゃうの?やっぱりひどい法律だね。それにしても、コルヴィンさんは逮捕されても意思を通したかったんだね!すごい勇気だ!
さらに、同年12月1日にローザ・パークスという女性も、同じ状況で逮捕された。これを機に、黒人達は自発的にバスに乗らないというモンゴメリー・バス・ボイコット運動が始まった。
そんなバスになんて僕も乗ってやらない!みんなも乗らないようにしてバス会社を倒産させてやりたい!
そういう気持ちを多くの黒人が抱いたんだ。そこで、12月5日にモンゴメリー改良協会(MIA)が発足して、指導者にマーティン・ルーサー・キング牧師が選ばれたんだ。彼はバス・ボイコットが正しい活動だという事を多くの人に説いて、多くの人の指示を得た。それによってこのボイコットは381日にも続いたんだ。
みんな頑張ったね!
普段はバスに乗るところを歩いたり、車を持っている人に助けてもらったり、みんなで団結してボイコットを行った。その結果、1956年11月に最高裁判所で黒人は座席を自由に選べるという判決が出たんだ。
すごい!非暴力のボイコットで、差別撤廃の一歩前進だね!
キング牧師の説得力と、黒人たちの努力による勝利だった訳だね。だけど、キング牧師は自宅に爆弾を投げ込まれたり、脅迫されたり、仲間達と共に治安を乱したという罪で逮捕までされているんだ。
無茶苦茶だよ〜!非暴力で活動していても、相手は暴力や脅迫を使ってくるんだね!
セルマのデモ行進
アラバマ州のセルマでは、黒人の投票率は1%程度に過ぎなかった。だから、黒人にも自由に投票できる権利獲得の為に、セルマからモンゴメリーまで80kmの道のりのデモ行進を行った。もちろん黒人に投票させたくない人たちからは妨害や罵声(ばせい)を浴びせかけられたり、警察官からの妨害も受けた。
どうして投票率が1%しかなかったの?
投票するには有権者登録をしなければならなかったんだけど、南部諸州では黒人に有権者登録をさせまいと、黒人投票権剥奪システムを開発した。主に下の3つだ。
黒人投票権剥奪システム
秘密投票制・・・誰が誰に投票するかは非公開である。であるから、文字を書けない人は誰かに投票をお願いすることができない。当時、黒人は白人と同じような教育を受けられず、文字を書けない人が多かった。よって文字を書けない人は投票できなかった。しかし、白人の文盲者には係員の手助けがあり、黒人は放置されていた。
投票税・・・1904年までに全ての南部諸州で取り入れられた、投票に課す税。当時、黒人の平均所得は全体の平均所得の半分以下であった為、投票すること自体に負担を強いられていた。
リテラシーテスト・・・読み書きや一般教養のテスト。合格しなければ投票権は得られない。
投票する前に有権者登録しなくちゃいけなかったのか。それに、登録する為には黒人にとって厳しい問題があったんだね。
驚くべきは、個人によっての差別、暴力で投票させないという妨害行為があっただけでなく、このようにシステムとして州単位で黒人から投票権を剥奪していたことだ。
それでセルマでデモ行進を行ったんだね。警官からも妨害されるなんて・・・。
デモ参加者の内17名は怪我をして、頭蓋骨骨折などの重傷者もいた。もちろん彼らは非暴力での訴えだったので、無抵抗だったにも関わらず、白人警官により負傷させられた。その映像がテレビで報道され、白人を含む多くの人々の心を動かした。結果、投票権法の成立を後押しした。
投票権法で黒人にも投票する権利を与えるってこと?
その通り。投票権法では黒人に対する投票権を奪う妨害行為を禁止としたんだ。1965年になって、ようやく黒人はアメリカ合衆国市民になれたんだ。
当たり前の権利をやっと手に入れられたんだね!
アメリカ黒人の政界進出
1965年に投票権法が出来たんだったら、そこから黒人の議員さんとかは増えていったの?
そうだね。1960年半ばでは、下院に6名黒人議員がいただけで、上院議員や大都市の市長に黒人は一人もいなかった。投票権法が出来てから、少しずつ黒人議員の数は増えていったよ。ただし、アメリカにおける黒人の割合は12%程度だから、やっぱり白人中心の議員構成になるよ。
アメリカは黒人よりもヒスパニックの方が割合が高く、黒人についでアジア系という構成。もちろん白人が60%程度と一番割合が高い。
へ〜!そんな中でバラク・オバマが大統領になったのはすごいことなんだね!
そうだね。今までの歴史を振り返って考えると、投票権法がなかった時代には絶対に不可能だっただろうね。
それでも続く黒人差別
僕はスポーツが好きなんだけど、オリンピックでもアメリカ代表の選手に黒人さん多いよね!12%程度の人口比率から考えて、黒人さんは運動能力が高いのかな?
身体的特徴はスポーツにすごく関係するから、背が高くて脚が長いのは、陸上だけでなく、多くのスポーツに有利だね。だからこそ、アメリカ黒人の割合は一般的にもっと多く感じる人が多いようだ。
そうだよね。身長が高いし脚が長いんだもんね。色んな世界で黒人さんは活躍しているけど、それでも黒人差別はまだまだ続いているんだね。
余談だけど、君の仲間達は山の中でも時速60kmくらいで走れるから白人でも黒人でも人間は勝てないよね。
1965年以降「アファーマティブアクション(積極的格差(差別)是正措置)」が採用されている。今まで不利な立場だった黒人にとっては、格差をなくす措置だ。だからと言って、人々の意識から差別意識が無くなった訳ではない。
アファーマティブアクション(積極的格差(差別)是正措置)・・・黒人,少数民族,女性など歴史的,構造的に差別されてきた集団に対し、雇用、教育などを保障する特別優遇政策。
ディアボロ先生は、差別はこの先なくなると思う?
この先が来年なのか100年先なのかは分からないけど、少なくても今までの歴史を振り返れば、差別は少しずつでもなくなってきているのは事実。そう考えれば、今BLM運動なんかを通して、みんなが忘れかけているけど、差別を受けている人たちはまだまだいるんだっていう事を思い出させてもらって、さらに差別がなくなる方に前進していくと思うよ。
僕はね、今回の話を聞いていて、元々アメリカでは黒人は奴隷から出発して、奴隷解放されてもそれは労働力なのか購買力なのかっていう結局お金の問題が関わってきてたのを知ったら、社会全体が豊かになって、貧困で苦しむ人がいなくならない限り、差別はなくならないような気がするんだ。
差別する人自身が生活に不安を持っているからこそ、誰かを利用したり、誰かが得をして自分自身が損をするのを阻止しようとするという事かな?
そうなんだ。元々黒人が嫌いだから差別していた訳じゃないと思うんだ。奴隷が良い例で、利用する為だったと思う。だけど、そんな差別も広がっていく内にただ何となく嫌いだっていう意識を持つ人たちが増えてしまうのかなって思ったよ。
それはあるかもしれないね。では、差別をなくすには、社会全体が豊かになって、みんな不安なく生活出来るようになるという課題も一緒にクリアしていかないといけないのかもしれないね。
だけど、いくら貧乏でも差別しない人もいるよね。だから、たくさんの人がちゃんと歴史を知って、自分で考えて、差別をなくそうという気持ちになるのは、やっぱり大切なことだよね!
日本人にとってアメリカ黒人の差別問題は、ニュースや本で知っているけれど、海外のことなので、実感を持ちづらいものかもしれません。
では、日本に差別問題はないのかと言えばそんな事はありません。韓国人に対するヘイトスピーチ、中国人差別、障害者差別から部落差別も完全になくなった訳ではありません。
「韓国人の○○さんの事が嫌い」という言い方なら、人間誰しも好き嫌いはあるよねと思えるのですが、「韓国人が嫌い」というあまりにも抽象的な言葉には、稚拙さしか感じ取れません。
考えてみればすぐに理解出来るはずですが、日本人にも色んな人がいます。社交的な人、内気な人、すぐに感情的になる人もいれば、いつも自分より他人を優先してしまう人もいます。自分勝手で暴力的な人もいれば困っている人がいれば助けないと気が済まない人もいたり、人を癒す人もいれば殺す人もいます。
それらを引っくるめて日本人は素晴らしいという言葉を使う人に違和感があります。
人種によって特徴があるかもしれませんが、教育、環境によってそれらは大きく変化するはずです。もちろん持って生まれたものもあるとは思います。
しかし、それでもある人種を嫌いだ、素晴らしいなどという事になんの意味があるのでしょうか。嫌いだという人種の人に、あなたは一体何をされたのかといつも問いたい気持ちになります。
私は、韓国人、中国人、オーストラリア人、アメリカ人、フィリピン人と仕事やプライベートでの付き合いがあります。アメリカ人やオーストラリア人は自分を説明するのが上手だなといつも感心しますが、そうでない人もいるでしょう。
私は差別を考えると、弱いものいじめを思い出します。
日本人の多くがアメリカ人(ちょっと大雑把な言い方ですが)差別はしません。いわゆる白人差別は聞かないものです。
日本では、アメリカから出てきた多国籍企業が日本に税金を払わずに大儲けしていたりします。これは大問題だと声を上げる人たちよりも、韓国人叩きが目立つのはなぜしょうか。
差別される対象はいつも弱者です。マイノリティーがいつも差別されいじめられるのだと感じます。
遠慮なく韓国人に対するヘイトスピーチができるのは、日本国内であるからです。韓国国内で少数の日本人が韓国人に対するヘイトスピーチが出来るでしょうか。
そう考えると、差別とはなんとつまらないものかと感じますが、マー君が言っているように、差別する人にはその当人の生活の不安定性が関わっているようにも感じます。
それは、金銭面だけでなく、家族間や会社や学校で認めてもらえないという心の問題なども関わっているかもしれません。
重度障害者の殺傷事件を皮切りに、「生産性のない人間は生きる価値がない」と言った言葉をたくさん聞くようになりました。
生産性とはなんでしょうか?それを言い放つ人は、いったい何を生産しているのでしょうか?
もし、「私は自動車工場で自動車を組み立てています」と言った場合、あなたが辞めても代わりはいくらでもいると言いたくなります。仕事にありつけない人はたくさんいますので。
生産性などというのであれば、定年退職した人は生きる価値はないのでしょうか?今は健康であっても病気や事故で障害者になった途端に「生産性がないので」という理由で死ななければならないのでしょうか?
もし家族が障害者になった場合、「生産性がないので死んでください」と言えるでしょうか?
それと同じように、もし自分の祖先に実は韓国人がいたとした場合、韓国人に対するヘイトスピーチをしていた人は、公園で自分に対してヘイトスピーチをするのでしょうか?
大切なのは血や生産性などではなく、様々な関わりの中で自分や大切な人が生きているという事なはずです。
今回はアメリカ黒人の歴史を振り返りながら、差別される前には黒人は圧倒的弱者であったという事実。そして、多くの黒人やその他の人種の働きかけによって、差別解消に少しずつ前進している事。それには多大なる犠牲、苦労があった事をお伝えしました。
決して海の向こうだけの話ではなく、自分たちの身の回りでも差別はありふれているという事に気付いて、それを良くないものだと感じられる人が多くなる事を願っています。