空海ってどんな人?
空海は弘法大師とも呼ばれており、数多くの伝説は現代にも語り継がれています。あまりにも突飛な逸話が嘘だとしても、遺した偉業は本物であり、それが可能だったのは彼が天才であったからだと言う人も多い。謎多き空海について見ていこう。
ディアボロ先生!空海って仏教を日本に広めた人だよね!仏教ってそれまで日本になかったの?
空海が日本に帰ってきて真言宗を広めたのは平安時代(794年から1185年まで)だね。日本に初めて仏教が伝来したのは552年(538年説もある)の飛鳥時代だから、空海以前から仏教は日本にあったんだよ。
じゃあなんで空海は元々日本にあった仏教を広めるために頑張った人なんだね?
空海が広めた密教はそれまでの仏教と異なる
空海は元々日本にあった仏教ではなく、自ら中国に渡って密教の修行をしたんだ。空海は密教の高僧、恵果(けいか)からその教えをたった3ヶ月で会得し、2年の修行で日本に帰ってきて、教えを広める活動をしたんだよ。
密教とそれまでの仏教は何が違うの?
それまでの仏教は欲望を否定してなくす事を考えてきたんだけど、密教では欲望は生きる原動力と考えていたんだ。そして密教が顕教(けんぎょう:密教に対し、言語によって明らかに説き記された仏教の教え。密教ではない仏教という意味で空海が用いた。)と違う大きな点として「即身成仏」という思想がある。
即身成仏?
顕教では何度も生まれ変わって(輪廻転生)長い時間をかけて悟り仏になるという考え方だったんだけど、空海は生きたまま成仏できると教えたんだ。
空海は中国語とサンスクリット語を使いこなせた
そもそも日本人の空海がどうして中国で修行できたの?中国語は誰か通訳してくれてたの?
空海は中国に渡る前から中国語を話せたと言われている。日本にも中国の僧がいて、その人たちに仏教と共に中国語を教えてもらったと言われているよ。
すごい勉強熱心な人だったんだね!
それだけじゃなくて、密教の修行の際にサンスクリット語というインドで昔使っていた言葉も習得したらしいよ。仏教はインドから伝来したものだから、どうしてもサンスクリット語が使いこなせる必要があったらしい。
中国に渡ってた期間って2年だけだよね!密教の修行しながら語学も学んでたんだ!すごい頭の良い人だったんだね!
空海が中国で学んだものは密教や言語だけじゃない
さらにすごいことに、空海は日本に帰ってきて多くの貢献をしたんだけど、それは中国で学んだ知識によるものだと言われている。例えば、農民たちの為にため池の修復という土木工事に精通していたり、薬の知識で人々病を癒したりしたと言われている。
一人の仕事とは思えないね!
さらに綜芸種智院というそれまでなかった庶民が入れる学校を作ったんだよ。完全に無償で学べる学校だよ。
空海って本当に一人なの?教師で医師で土木工事ができるお坊さん?聞いたことないよ!
現代ではそこまで幅広く学んでいる人は少ないだろうね。
能書家空海
忘れてはいけない能書家(のうしょか:文字を書くのが上手な人)としての空海という側面があるよ。
まだ他の顔があるの!?
「弘法筆を選ばず」って聞いた事あると思うけど、弘法は弘法大師、つまり空海の事だよ。それほど空海は書に関して天才的であったし、独創的であったんだよ。
弘法って空海の事だったの!?
遣唐使として中国に渡った時、空海は最澄と違ってその他大勢の留学生という程度の立場だったんだ。その渡航は嵐によって目的地から遠いところに漂着した。だから遣唐使として認めてもらえず海賊だと疑われて上陸させてもらえなかった。何度もお願いしても駄目だったところ、空海が書をしたためて渡したところ遣唐使として認めてもらえて上陸できたんだ。
どうして認められたの?
当時、空海の書いた文字が格調高い(気品に満ち溢れているさま)文字だったかららしい。普通の人が書ける文字のレベルを遥かに上回っていた逸話だね。
文字を綺麗に書けるって大事なんだね。僕もちゃんと書くようにするよ!
最澄を弟子にした空海
日本に帰ってからの話だけど、最澄の方が年も位も上だったんだけど、密教の修行は空海の方が多くを得ていて、その実力が明らかになった時、最澄自ら空海に弟子入りしたんだ。
それもすごい決断だね!プライドとかあったと思うけど、それよりも正しい密教を広めようという最澄の考えが素晴らしいと思うな!
最澄は理趣釈教という密教の経典を空海に貸して欲しいとお願いしたんだけど、空海は厳しい口調で断ったと言われている。
どうして?ちゃんと勉強しようとしてるんでしょ?
密教は性愛などの煩悩を認めているでしょ?それは顕教とは違う部分だし、読み間違えると大変な間違いを犯すことになると空海は思ったそうだ。密教は頭で理解するだけでは足りず、肉体と感覚全てを持って向かい合わないといけない。だから書を読んで学ぶだけでは駄目だと言ったんだろうね。
密教って難しいね。
仏教は釈迦の死後、弟子たちの派閥の中で数多くの宗派に分かれていった。釈迦はお経を唱える事を良しとしていなかったと言われている。今日の仏教で釈迦仏教の教えはどこまで残っているのだろうか。仏教を語るのは非常に難しいですが、空海という人物を知る事で、悟りというものを少しでも理解できるのではないかと思います。
全てに縁があって、この世に無駄な物など何一つない。もし仏教の教えから物語性を排除すれば、それは哲学と言えるのではないかと思います。
密教の世界を言葉だけでは表現しきれないが故に曼陀羅であったり仏像であったりで表現していく。ある宗派では天国や地獄やこの世やあの世を生み出し、考え方中心から物語性を帯びた宗教と捉えられやすくなったのではないかと勝手に考えています。
空海の日本にもたらした実績を見れば、それは非常に科学的に認められる功績が多く、加持祈祷を用いながらも当時の最新科学を駆使していたと思われます。
現世利益は加持祈祷だけでなく、あらゆる方法で成し遂げられるものであって、それは密教を社会の外に置くものではなく、社会の中で生き生きと根付き信頼され活用されるものであるべきだという空海の考えがあったのではないかと想像します。